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東京高等裁判所 昭和54年(ネ)1187号 判決 1981年4月23日

控訴人

斎田商事株式会社

(旧商号 株式会社斎田正一商店)

右代表者

斎田正一

右訴訟代理人

山根喬

外二名

被控訴人

千葉興産株式会社

(組織変更前の商号

有限会社千葉合金鋳造所)

右代表者

千葉三男

右訴訟代理人

藤田達雄

藤田玲子

主文

一  原判決を左のとおり変更する。

二  被控訴人は控訴人に対し、金二九四五万一四五六円及びこれに対する昭和五一年一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  控訴人のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し、金三〇〇三万六一〇八円及びこれに対する昭和五〇年一二月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、控訴棄却の判決及び当審で追加された予備的請求を棄却する旨の判決を求めた。

当事者双方の主張並びに証拠関係については、左に付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(原判決の訂正)

原判決二枚目表一〇行目の「根本橋」を「根木橋」と改め、同裏九行目の「以下原告斉田という」を削り、三枚目表末行の「被告」の次に「の取引銀行」を加え、四枚目表三行目、同一〇行目、六枚目裏二行目、同七、八行目、同九行目、八枚目裏一行目にそれぞれ「原告斉田」とあるのを「斎田伸作」と改め、四枚目表七、八行目の「ここにおいて」の次に「前同日」を加え、五枚目裏五行目の「二階」を「中二階」と、七枚目表五、六行目の「北海道」並びに同六行目及び同裏二行目の「北連」をいずれも「ホクレン」と改め、八枚目表三行目の「原告代表者」の次に「本人斎田伸作」を、同末行の「第三」の前に「第二、」を、同裏二行目の「被告代表者」の次に「本人千葉三男」をそれぞれ加える。

(控訴人の主張)

一  控訴人の予備的請求原因(当審における新請求)<省略>

二  被控訴人の組織変更

被控訴人(有限会社千葉合金鋳造所)は、昭和五五年七月三〇日その組織を変更して千葉興産株式会社となり、翌三一日にその旨の登記を経由した。

(被控訴人の主張)

一 予備的請求原因に対する認否<省略>

二 被控訴人(有限会社千葉合金鋳造所)が昭和五五年七月三〇日その組織を変更して、千葉興産株式会社となり、翌三一日にその旨の登記を経由したことは認める。

(証拠関係)<省略>

理由

一原審における本位的請求の当否についてまず検討する。

1  まず当事者間に本件賃貸借契約が確定的に成立したか否かについて判断するに、<証拠>を総合すれば、次のような事実を認めることができ<る。>

(1)  被控訴人は、昭和二二年に有限会社千葉合金鋳造所として肩書地に設立され、銅合金の鋳造等及び不動産の賃貸借を目的としていたが、昭和五五年七月三〇日に組織を変更して、千葉興産株式会社となり(翌三一日に登記経由)(右組織変更の点は当事者間に争いがない。)、同時にその目的を不動産の賃貸借に変更したものであり、他方、控訴人(旧商号株式会社斉田正一商店)は、昭和四五年に札幌市豊平区内に設立された不動産の賃貸、倉庫業等を目的とする株式会社であつて、昭和五一年六月に肩書地に本店を移転し、次いで昭和五二年一一月にその商号を現商号のとおり変更したものであつて、その代表取締役斎田正一の女婿である斎田伸作(通称松尾伸作)(昭和五二年三月控訴人の取締役及び代表取締役に就任した。)は、ホクレン(ホクレン農業協同組合連合会)に事務職員として勤務する傍ら、控訴人の代理人として後記の本件賃貸借契約締結のための交渉に当つた。

(2)  被控訴人は、昭和五〇年春頃その所有にかかる埼玉県戸田市大字下笹目(旧表示、同県同市大字惣右衛門字根木橋)一二二二番ほかの土地上に新たに倉庫を建設して、貸倉庫業を営むことを企図し、貸倉庫業者野口長助に対して、適当な借主がいたら紹介してくれるよう依頼しておいたところ、同年六月頃、斎田伸作、遠藤熊雄及び那須豊明(那須建設株式会社代表者)を順次紹介して、控訴人が埼玉県下に営業用の貸倉庫を求めていることを知つた野口は、直ちに被控訴人に対し、ホクレンに勤務している人の関係で貸倉庫を求めているから、倉庫貸借の話を進めてはどうかと進言した。

(3)  他方、遠藤熊雄は、遠藤一級建築設計事務所の名称で建築設計業を営む者であるところから、被控訴人の企図する倉庫の貸借契約が成立し、該倉庫の建築計画が具体化した場合には、その設計業務を担当することができるものと予期し、同年六月頃、まず斎田伸作から、控訴人の賃借についての希望条件が①倉庫の面積五〇〇坪、中二階付、②賃料月額坪当り二五〇〇円、③保証金額 賃料の3か月分、④契約期間一五年であること等を聞いて、野口を介してこれを被控訴人に伝え(その際、遠藤は、ホクレンは借主ではないが、荷主になるようである旨説明した。)、又野口を通して被控訴人からも賃貸についての希望条件を徴する一方、倉庫建築予定地の公図写を入手したうえ、同地上に建築すべき建物の配置図、平面図、立面図等を作成し、更に同月二七日頃、被控訴人の賃貸の希望条件を取りまとめて被控訴人代表取締役千葉三男ら作成名義の「覚書」と題する書面を起案し、右文書の末尾被控訴人代表者千葉三男、代理人、立会者として記載された野口長助の各名下にそれぞれ右両名の捺印を得、又自ら協議者として記載した遠藤一級建築設計事務所の名下に自己の印章を押捺して該文書を完成させたうえ、同月末頃これを斎田伸作に送付した。そして、前記「覚書」と題する書面には、遠藤一級建築設計事務所と建主(貸主)との間で貸倉庫の建築計画に関して協議した結果、①建築場所は埼玉県戸田市大字惣右衛門字根木橋一二二二番ほか、②建築床面積は当初五〇〇坪、高床式一メートル、③賃料は月額坪当り二八〇〇円、三年ごとに改訂、④契約期間は一五年契約(公正証書)、⑤契約時の敷金は五か月相当分、五年間後戻り、⑥契約者(賃借人)は株式会社斉田正一商店とすること等を主たる内容とする協議が成立した旨並びに末尾に該文書の名宛人として、「ホクレン農業協同組合連合会事業部、米穀部、松尾殿」とそれぞれ記載され、更にその末尾に遠藤の作成にかかる前記建物の配置図等図面六葉が添付されていた。

(4)  控訴人の代理人斎田伸作は、遠藤から前記文書の送付を受けて、被控訴人に倉庫賃貸の意向のあることが判明したため、更に被控訴人と契約締結につき交渉を進めるべく、同年七月初旬札幌から上京し、同月六日野口の経営する野口興業株式会社の事務所において、野口、遠藤、那須らの立会のもとに、被控訴人代表者千葉三男と約三時間にわたり賃貸借の条件について折衝した結果、両者間に、①倉庫建築場所は前記のとおりとする、②倉庫の面積は六〇〇坪(右のほか、中二階部分二五〇坪)、③賃料は月額坪当り二八〇〇円(中二階分は六〇〇円)、五年間据置、④契約期間は一一年間とし、特別の事情がない限り更新するものとする、⑤協力預金として、控訴人は被控訴人の取引銀行に対し七〇〇万円の定期預金を五年間預ける、⑥倉庫の完成時期を同年一一月三〇日、使用開始時期を同年一二月一日とする、⑦被控訴人は控訴人に対し、控訴人が賃借倉庫を第三者に転貸することを予め承諾すること等について合意が成立したが、その際、斎田伸作において、転貸について転借人となるべき者と交渉する必要があるので、最終的な契約の締結は同年七月末まで猶予して貰いたい旨及び控訴人が被控訴人に対して同月末までに文書をもつて契約締結の意思表示をした場合には右合意に基づく契約が有効に成立することにして貰いたい旨申し入れて、被控訴人の了承を得た。

(5)  被控訴人は、遅くとも同年七月六日になされた前記交渉の際には、斎田伸作の説明などによつて賃借人は控訴人であつて、ホクレンは本件賃貸借には無関係であることを知つたため、野口長助の勧めに従つて、賃借人となるべき控訴人の信用調査を実施することとし、同月八日、野口、遠藤熊雄及び那須豊明の三名を伴つて、被控訴人代表者千葉三男が札幌に赴き、控訴人の管理する倉庫の見分等をしたが、控訴人側では、主として斎田伸作が来札した千葉三男ら一行の案内及び接待に当つた。斎田伸作は、前同日右一行四名を出迎え、札幌市内のホテルに案内するや、直ちに右四名に対して、転借人との交渉の必要上同月六日に成立した合意の内容を文書化して再確認しておきたいとの趣旨を告げて、前記合意の内容を予め覚書の形式で取りまとめておいた同文の文書五通を示し、その記載内容を逐一説明してそれが前記合意の内容と合致することの確認を得たうえ、右文書の末尾に署名を求めたところ、右四名は、いずれもこれに応じて右文書五通の末尾の所定欄にそれぞれ署名し(もつとも、右四名は当時印章を持参していなかつたため、その押捺はなされなかつた。)、そのうちの一通を斎田に交付し、かつ各自が一通ずつこれを受領し、保管することとした。

(6)  控訴人は、その後日東タイヤ株式会社との間に、被控訴人から賃借する前記倉庫についての転貸借の交渉を進め、同年七月二六日頃までには基本的事項について合意が成立したため、同月二八日頃発信の文書(書留速達便)をもつて被控訴人に対し、同月六日に成立した前記合意のとおり賃貸借契約を締結したい旨の意思表示をしたところ、該意思表示は同月末までに被控訴人に到達した。

(7)  ところが、同年八月初旬頃に至り、被控訴人から控訴人に対して契約条件の変更を求める旨の申し入れがあつたので、控訴人の代理人斎田伸作は、同月二一日再び上京して被控訴人代表者千葉三男方において、同人と、前記遠藤、野口及び千葉の妻、息子一郎を交えて、長時間にわたつて契約条件について折衝した。席上千葉の妻が、倉庫の面積を五〇〇坪以上とすることはできないし、又賃料の坪単価を更に増額して貰いたい旨強く求めたが、折衝の結果、結局建物一階の建築面積(賃貸面積)は被控訴人側の要望に従つて六〇〇坪から五〇〇坪に縮小するが、その他の契約条件は同年七月六日に成立した前記合意のとおりとすることで、意見の一致を見たので、斎田において被控訴人側に対して、翌二二日に転借人との間に転貸借契約を締結してもよいかと質したところ、千葉三男は、その妻及び一郎の同意を得たうえで、これを了承する旨答えた。そこで、斎田は、前記合意の趣旨に則つて予め作成し既に控訴人(賃借人)の記名捺印のある建物賃貸借契約書を千葉三男に提示して署名捺印を求めたところ、同人は、右契約書記載の条項につき一応計理士と相談のうえ捺印して郵送する旨答えて、これを預つた。右のように、賃貸借の契約条件についての当事者間に合意が成立したため、被控訴人は、その場で遠藤に倉庫建築に関する設計監理を依頼したが、その際、遠藤から、倉庫の使用開始時期が同年一二月一日であることから逆算して通常の手続によつて建築確認を得ていたのでは間に合わないのではないかとの意見が出されたところ、これに対して、千葉の妻は、知り合いの市議会議員に頼んで確認手続等の期間を短縮させて間に合せるようにする旨述べ、更に同人は、斎田が同人方を辞去するに際しては土産を贈り、好意的な態度を示した。

(8)  しかるに、被控訴人は、約旨に反して、前記建物賃貸借契約書を控訴人に送付しなかつたばかりか、同年八月末日頃、突如控訴人に対して、本件倉庫の賃貸は困る旨通告し、以来契約の履行を拒絶したまま現在に至つている。

以上認定の事実関係、特に本件賃貸借契約締結のための交渉が昭和五〇年六月以来前認定のような経過をたどつて進められ、同年八月二一日には長時間にわたる折衝の結果、当事者間に前認定の合意が成立し、しかも、被控訴人において控訴人が転借人との間に転貸借契約を締結することを了承した事実等に徴すれば、同年八月二一日の折衝を終えた段階で本件賃貸借契約は確定的に成立したものと認めるのが相当である。

もつとも、同年八月二一日に当事者間に成立した合意の内容については、これを証する賃貸借契約書に被控訴人代表者の署名捺印を得られないまま終つたことは、前認定のとおりであるが、本件賃貸借の場合は、前認定のとおり、約二か月間にわたつて契約締結のための交渉が重ねられ、右交渉の過程において二通の覚書が作成され、当事者間に最終的に成立した合意の内容は、かなり具体的かつ確定的であるのみならず、第二回目に作成され取り交された覚書の記載内容と殆んど同一である(建物一階の建築面積につき両者間に一〇〇坪の差異があるに過ぎない。)から、たとえ最終的に成立した合意の内容を直接証する文書が作成されなかつたからといつて、その一事によつて契約が確定的には成立していないと解すべきではない。更に、前掲<証拠>によれば、遠藤熊雄が同年六月二七日頃被控訴人の意向を取りまとめて作成した前記覚書中には、前認定のとおり、「契約期間 一五年契約(公正証書)」との記載のあることが認められ、右によれば、少くとも被控訴人は本件賃貸借契約の締結につき公正証書を作成することを予定し、公正証書の作成によつてはじめて契約が確定的に成立するものと考えていたものと解する余地がないでもなく、被控訴人代表者本人千葉三男の尋問の結果(原、当審)中には右と同旨の部分がある。しかし、前記覚書中の記載をもつて公正証書の作成を本件賃貸借契約成立の要件としたとまで解することは困難である(すなわち、後日紛争の発生することを防止するため、契約成立の事実及びその内容を明確にしておく目的で公正証書を作成することにしたものと解する余地がある。)のみならず、仮りに被控訴人において前記覚書の作成された本件契約交渉の初期の段階では公正証書の作成によつてはじめて契約が確定的に成立するものと考えていたとしても、前認定のとおり、被控訴人は、昭和五〇年八月二一日には控訴人の代理人と長時間にわたつて契約条件について折衝をしたうえ、前記のような最終的な合意を成立させ、しかも、控訴人が転借人との間に転貸借契約を締結することも了承したのであるから、右の時点では、公正証書の作成をまたずして本件賃貸借契約を確定的に成立させる意思を有していたと認めるのが相当である。従つて、前記覚書に前認定のとおりの記載があるからといつて、右契約が確定的に成立したものと認定することの妨げにはならない。

2  次に、被控訴人の抗弁について判断する。

被控訴人は、ホクレンが本件倉庫の専属荷主となり、連帯保証人にもなるものと誤信して、本件賃貸借契約を締結したものであるとして、被控訴人の賃貸する旨の意思表示につき要素の錯誤があるとしてその無効を主張し、或いは該意思表示が詐欺に因るものであるとしてその取消を主張するのであるが、被控訴人において本件賃貸借契約締結当時前記のように誤信していたことを認めるに足る証拠はなく(被控訴人代表者本人千葉三男の尋問の結果(原、当審)中には、当時右のように誤信していたとする部分があるけれども、該部分は措信することができない。)、かえつて、前認定の事実によれば、被控訴人は、当初はホクレンに勤務している人の関係で貸倉庫を求めている旨或いはホクレンは借主ではないが荷主になるようである旨聞かされていたものの、遅くとも昭和五〇年七月六日の交渉の段階では、控訴人の代理人斎田伸作の説明などによつてホクレンは本件賃貸借には全く無関係であることを十分認識していたものと認められるから、前記各抗弁は、いずれもその前提を欠くものであつて、到底採用することができない。

3  控訴人主張のとおり昭和五〇年八月二一日に当事者間に本件賃貸借契約が成立したものと認むべきこと前叙のとおりであるので、進んで控訴人の主張する損害の点について判断する。

<証拠>を総合すれば、控訴人は、被控訴人の了解のもとに、昭和五〇年八月二二日、日東タイヤ株式会社との間に、本件倉庫につき、期間を昭和五一年一月一日から昭和六六年一二月三一日までの一六年間、賃料を月額一八七万五〇〇〇円とする転貸借契約を締結したが、被控訴人が前記のとおり一方的に本件倉庫の賃貸は困る旨通告し、本件賃貸借契約の履行を拒絶したため、日東タイヤに対する転貸借契約の履行が不能となり、同会社から転貸人としての責任を追及され、同会社に対して代替倉庫を提供するのやむなきに至つたこと、そこで、控訴人は、急遽手を尽して本件倉庫と地理的条件、建物の構造及び面積等の類似する貸倉庫を探した末、同年一〇月一一日、荘延秋との間で、埼玉県戸田市新曽稲荷一八〇五番ほか六筆の土地上に存する、鉄骨造平家(一部中二階)建の倉庫(一階の面積五四九坪、中二階の面積二三三坪)を、①賃料月額坪当り一階部分につき二八〇〇円、中二階部分につき九〇〇円、②契約期間昭和五一年一月一日から一五年間、③借主は貸主に対し保証金五三二万四七〇〇円を契約期間中無利息で預け入れるとの約定で賃借する旨の契約を締結し、昭和五〇年一二月一〇日、日東タイヤに対し、右賃借にかかる倉庫のうち一階及び中二階延面積七五〇坪を賃料月額一八七万五〇〇〇円で転貸することを余儀なくされたことが認められ、被控訴人代表者本人千葉三男の尋問の結果(原、当審)中右認定に反する部分はたやすく措信することができず、他には該認定を左右するに足る証拠はない。

以上認定の事実によれば、控訴人は、被控訴人が賃貸人としての義務を履行しなかつたことにより、転借人に対する自己の義務を果たす必要上、荘延秋から、本件倉庫と地理的条件、建物の構造及び面積の類似する前記倉庫を本件賃貸借の場合よりも高額な賃料を支払うなどより不利な契約条件で賃借することを余儀なくされ、本件賃貸借において支払うべき賃料その他の負担額等と荘延秋との賃貸借におけるそれとの差額相当額の損害を蒙つたものというべく、右損害は被控訴人の前記債務不履行と相当因果関係の範囲内にあるということができる。そして、右損害額は、別紙契約差損計算書記載のとおり、二九四五万一四五六円となる(控訴人は、荘延秋に差し入れた保証金の運用利率につき年七分を主張するが、その根拠を明らかにしないので、商事法定利率年六分の割合に従つて計算する。)ことが計数上明らかであるから、被控訴人は控訴人に対し、右金員に対する前記損害発生の後である昭和五一年一月一日(前掲<証拠>によれば、控訴人と日東タイヤ間の前記転貸借契約においては、賃貸借期間は前記のとおり昭和五一年一月一日から満一六年間、賃料は毎月末日までに翌月分を支払う旨約定されていたことが認められるから、右によれば、控訴人は昭和五一年一月分の賃料を昭和五〇年一二月三一日までに支払を受けることができたものというべく、従つて、遅くとも昭和五〇年一二月三一日には前記損害が発生したものということができる。)から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべく、従つて、控訴人の原審における本位的請求は、右の限度で理由があるから、これを認容し、その余は失当として棄却すべきである。

二よつて、控訴人の請求を全部棄却した原判決は不当であるから、これを変更して、控訴人の本位的請求を前記理由のある限度で認容し、その余はこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、九二条但書、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(杉田洋一 中村修三 松岡登)

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